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 マスターのサイクリング絵日記 上野たちばな マスター  2024年10月13日(日) 16:17
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 少し秋めいてきたので、小さ秋を感じようと思い、墨田区の『向島百花園』に出掛けた。『向島百花園』は1804年というから徳川幕府江戸開府(1590年)より214年も経った頃。詰り江戸の文化の円熟期の頃と思われる。骨董屋を隠居した『佐原鞠鵜』が向島に膨大な土地を購入して、江戸の文人達に声がえして作った庭園で在った。言わば自分を含む江戸文人たちの開かれた集会所に似て、植えられた樹々(木々)も呼び掛けに依って寄せ集まった樹・木で植物園が出来てしまい、文人たちは自分の庭として手塩に掛けて居たそうです。庭園には梅の木が数百本と多く、その他大木、そして草木・山野草・野草秋の七草・春の七草、それに私目には雑草と思しき植物が百花どころでは無く千花万花と所狭しと生い茂って居ました。 庭の至る所に碑が在り文化人の歌が刻まれていました。30基は超えて居た様な気がしました。江戸文化の文人達はこの『向島百花園』で樹々を観て花を観て、池を眺めながら心静かに『歌』を詠って居たのだろうか。

私は近頃ようやく猛暑が納まり、萩の花でも愛でに行こうかと思いでかけたのでした。ところがどうした事か花はもう散って居ました、萩のトンネルも葉だけに為って居ました。しかも楽しみにしていた秋の七草も花は略おわってしまいました。季節は少々の気候の変化にも左右されないで確実に過ぎて行くのですね。
 

 拾った新聞の切り抜き 上野たちばな マスター  2024年9月30日(月) 15:54
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千葉県佐倉市に在るDIC川村記念美術館の存続問題が書いて有る記事でした。

 『市文化課によると、市長や地元財界代表、同市にある国立歴史民俗博物館の館長らでつくる「DIC川村記念美術館の佐倉市での存続を求める会」として、5日から署名を募集。事務局を務める市のホームページを通じたオンライン方式
などで30日まで受け付ける。
 会は署名の趣旨説明で、同館が世界的に貴重な作品を多く所蔵する国内屈指の美術館だとした上で「自然が調和する庭園と、そこに溶け込む建築が特徴」と評価。同館自体が一つの作品だとして、市での存続が必要と主張している。
 同館は1990年開館。現代美術のコレクションで知られ、ピカソやモネの作品もある。DICの社外取締役からなる委員会は「業績や投資家の意見を踏まえると、現状のまま維持運営は難しい」として、規模を縮小して東京に移すか、運営中止するかを助言した。同社は今年12月までに方針を決める。』

 私は、このDIC川村記念現代美術館は10年くらい前に見学した事が有ります。だからこの記事を拾った時に個人的な懐かしさと世界的にも有名な芸術作品が陳列されているのに、危機に瀕して無くなるとは考えられず複雑な気持ちでした。 私は思考も行動も無いので、只本当に無くなったら寂しいな、思い日記に書きました。

 追加画像 上野たちばな マスター  2024年9月30日(月) 16:31 修正
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 追加画像 上野たちばな マスター  2024年9月30日(月) 16:32 修正
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 『月下美人』咲きました。 上野たちばな マスター  2024年9月22日(日) 14:34
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『月下の美人』を育てて10年目

 2014年から育て始めた月下美人は、今年で10年に為りました。育て方が なかなか難しいもので、失敗の連続で未だに満足のゆくもので有りません。毎年の株分け、剪定、鉢植え、肥料遣りで試行錯誤の連続です。
 最初の頃は余りにも生い茂る葉っぱ(特に新芽)を夢中で剪定をしていました。ところが、花芽を点ける葉は2年葉とか3年葉で無いと芽を点けないのです。ですから、新芽ばかりを剪定して居たら花芽は殆んど点かなくなり、パラパラと1〜2です。そんな事で枝葉を大きくしないと立派な花は咲かないと悟り、それから剪定に気を付けて枝の成長に気を付けて居ます。
 毎年幾らか株分けした鉢を近所の知り合いに御上げして居るのですが、育て方が結構手間と愛情が必要なので、お渡し後はその方々の器量でいっぱい花を咲かせて欲しいと祈って居るのです。 マンションのベランダで大小20鉢くらいに増えていますが、日々成長の期待と百花繚乱ならぬ百花の月下美人乱舞を夢見ているのです。
 ここ数年温暖化の影響か7月頃の新芽の葉先や花芽が日焼けして落ちたり黒くなったりで全滅でした。折角目が出たのにと悔しがっています。愈々今年は堪忍袋の緒が切れて、7月末から日焼け防止用の簾を数枚買って直日射を避けて覆ったのです。それから出た目は育ち始め、何個かは落ちましたが、6個ほどの蕾が大きく膨らみ咲くばかりに為りました。
 2年振りに開花を楽しめると思い満月の日に期待しましたが、昨夜、少し遅れましたが咲きました。多分今夜も4個くらい咲きそうです。期待で気持ちがわくわくして居ます。

 追加画像 上野たちばな マスター  2024年9月22日(日) 14:40 修正
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 追加画像 上野たちばな マスター  2024年9月22日(日) 14:41 修正
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 追加画像 上野たちばな マスター  2024年9月22日(日) 14:42 修正
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 マスターのサイクリング絵日記 上野たちばな マスター  2024年9月16日(月) 15:17
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 先日のサイクリング散策は『日本橋界隈』を巡る事としました。上野公園の出入口、上野広小路から中央通りを真直ぐに南下して末広町、神田川に掛かる万世橋を渡り、神田、三越前、と着て『日本橋』は直ぐ目の前です。
 
 三越本店と三井住友信託銀行の間を右手西側に入って行くと日本銀行や三井本館等が建ち並ぶ明治初期頃の資本主義経済の発展が始まった辺りです。更に西に常盤橋を渡った日本橋川の畔辺に、日本資本主義経済の父と称される渋沢栄一翁の大きな銅像が威風堂々と建られて居ました。
 
 「日本橋」は、周りをちょっと見た目にはその昔を直ぐには感じられません。日本橋川の頭上には高速道路の高架橋が幾重にも掛けられて居るのです。川から分かれる運河にも高速道路の高架橋が流れていて空に視界が開けないのです。川全体に支柱が建ち並び、又支流の運河は塞がれて上の高架橋の間は交通関係の建物で視界も川の流れも全然見えません。
 
 この高速道路の高架橋は近い将来、地下化されてこの辺りの風情も昔の自然が蘇るかも知れないと聞きます。何時の頃になるのでしょうか大いに期待して居るのですが、私たちが生きている内に叶われるように望みたいものです。
 
 日本橋の創架は、徳川家康が幕府を開い慶長八年(一六○三)と伝えられています。翌年、日本橋が幕府直轄の主要な五つの陸上交通路(東海道・中山道・奥州道中・日光道中・甲州道中)の起点として定められました。江戸市街の中心に位置した日本橋は、橋のたもとの日本橋川沿いに活気ある魚市場が立ち並び、周辺に諸問屋が軒を連ねるなど、江戸随一の繁華な場所でした。
 
 日本橋を渡り、直ぐに永代通りを左に東に昭和通りを横切り環状線の下を潜れば茅場町、そこら辺は矢張り明治の初期頃、先程通った日本銀行の日本橋川の対岸に位置し、日本資本主義経済の象徴の一つの東京証券所の在る兜町でした。この界隈には証券所の発祥地、兜神社、渋沢栄一翁の何件目かの自宅、みずほ銀行など、渋沢栄一翁の関連するものが多く在りました。 渋沢栄一翁の偉大さを今更ながら感じて敬服して居ります。渋沢栄一翁の肖像の新一万円札は特に尊敬しています。
 
 この日のサイクリング散策はこの辺り迄として帰り道は、隅田川の堤防からテラスに下りて、テラスをのんびりと風に吹かれて一休みして、残暑で暑い中、気持ちの好い散策をしました。お江戸は本当に素晴らしい住み心地の好い所ですね、つくづく実感しています。

 追加画像 上野たちばな マスター  2024年9月16日(月) 15:18 修正
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 追加画像 上野たちばな マスター  2024年9月16日(月) 15:20 修正
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 マスターのサイクリング絵日記 上野たちばな マスター  2024年9月10日(火) 12:21
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皆様、 おはようございます。

まだまだ暑い日ですが、頑張っておられますか?私も楽しく頑張って居ます。

 昨日のサイクリング散策は、先日書いた人形町界隈から浅草寺裏に移転した新吉原の、歴史的な面影を探索して参りました。
 春日町を東に曲がり、国際通りを浅草を抜けて千束に、右側にある酉の市で有名な鳳神社の手前を右に折れ直ぐに左に向かって行くと、もうその界隈は膨大な新吉原の一画になり、その名残が残っています。

 新吉原花園池(弁天池)跡 。台東区千束3丁目22番
江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦3年(1657年)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋め立て、日本橋の遊郭が移された。以来、昭和33年までの300年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。

 新吉原の出入口、大門は一画の北側にあり、日本堤と言われる水路側に在った。その水路は隅田川(大川)の今戸水門から引かれて、吉原に行き交う小舟で相当な賑わいだったと云われていました。大門に一角には見返りの柳の木が在ります、有名な柳なのですが残念ながら何十回かの火災等の災害で何十代目の物らしい。
 
 私は吉原はトンと縁は無いのですが文化の歴史として興味が有ります。又、文化と云えば、この頃と時期同じにして衆道・陰間茶屋なるものは上野の山は南側の湯島白梅の湯島界隈に在ったそうな。

  上野たちばな マスター  2024年9月10日(火) 12:22 修正
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  上野たちばな マスター  2024年9月10日(火) 12:27 修正
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