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 月下美人の花が咲きました 上野たちばな マスター  2025年9月3日(水) 13:10
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皆様、こんにちわ!季節は9月秋なのに毎日が猛暑日、酷暑日で、本当に地球温暖化で日本も夏と冬と春だけの三季(四季では無く)に為ってしまうのか? 皆様、残暑お見舞い申し上げます。熱中症に気を付けて下さい。

昨夜、部屋のベランダに月下美人が咲きました。今シーズンの最初の開花です。例年だと丁度2回目の開花の時期ですが、今年は大分遅れました。多分温暖化の所為で花芽が吹くと熱風で日焼けして落ちてしまうのです。
今回は3輪咲きました、それは見事に綺麗に咲きました。花の名に違いません『月下美人』そのものです。今外に出てみたらもう1個咲きました。
カメラで撮りましたが、花は何れも一晩限りで萎んでしまいます。
厳しい季節を一年掛けて成長して一晩で萎んでしまうのです。
『月下美人』は何と儚く美しい花なのでしょうか?

 月下美人の花が咲きました 上野たちばな マスター  2025年9月3日(水) 13:12 修正
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 月下美人の花が咲きました 上野たちばな マスター  2025年9月3日(水) 13:14 修正
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 月下美人の花が咲きました 上野たちばな マスター  2025年9月3日(水) 16:59 修正
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 月下美人が咲きました。 上野たちばな マスター  2025年8月4日(月) 14:16
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2025年8月4日(月)14:03返信引用返信


私が月下美人に惚れてベランダ園芸で育て始めてから
10年位に成ります。毎年、開花を楽しんでそして挿し木で
子供もドンドン増やしました。30鉢くらいにはなりましたか。
同じマンションの、月下美人を愛して呉れそうな女のおば様に
5個ぐらいと、近所のマンションの友達のおじさんに嫁入りに出しました。
この画像はその嫁入り先で咲いたものです。
本家の私の所は未だマトモな花蕾も点けていません。
多分温暖気候の所為かも知れませんが、9月、10月には咲くでしょう。
おじさんに嫁入りしたこの画像の鉢は、実は10年前に挿し木して
育ち始めた最初の鉢なのです。一番大切な最初の大鉢をあげたのでした。
それにしても綺麗に咲きましたね。
他のおば様からもEVで出会ったら「咲きましたよ!」と感嘆の声を頂きました。
月下美人の親戚が増えて毎年、毎年楽しんでおります。

 月下美人の花が咲きました 上野たちばな マスター  2025年9月3日(水) 13:35 修正
人様に嫁入りした月下美人が咲きました
前回は8月3日5輪。そして今回は9月2日3輪だそうです
良かったですね。嫁に出した甲斐がありますね。

 サイクリング散策『江戸時代のの史跡』『長崎屋跡』 上野たちばな マスター  2025年8月25日(月) 12:11
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 サイクリング散策『江戸時代の史跡』『長崎屋跡』です。
所在地 中央区日本橋室町四丁目二番地付近

 江戸時代、ここには長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸参府時における定宿でした。諸外国のうち、鎖国政策の為外国貿易を独占していたオランダは、幕府に謝意を表すために江戸へ参府し、将軍に謁見して献上品を贈りました。
 江戸参府は江戸前期から毎年行われており、商館長の他、通訳、医師などが長崎からにぎやかに行列して江戸に来ました。しかし、経費の問題もあり、江戸中期からは四年に一回となっています。
 随行したオランダ人の中には、ケンベルやツンベルク、シーボルトなどの医師がいたため、蘭学に興味を持つ青木昆陽・杉田玄白・中川淳庵・桂川甫周・平賀源内をはじめとした日本人の蘭学者、医師などが訪問し江戸における外国文化の交流の場として、あるいは、先進的な外国の知識を吸収する場として有名になりました。

 追加画像 上野たちばな マスター  2025年8月25日(月) 12:17 修正
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 最近の画像 上野たちばな マスター  2025年8月25日(月) 12:21 修正
78歳誕生日でした。【8月24日】

 サイクリング散策『江戸時代の史跡』『蔦屋重三郎「耕書堂」跡』 上野たちばな マスター  2025年8月21日(木) 22:26
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サイクリング散策『江戸時代の史跡』『蔦屋重三郎「耕書堂」跡』です。
所在地 中央区日本橋大伝馬町十三番付近

 江戸時代の本町通り(現在の大伝馬本町通り)は、日本橋を起点とする五街道のうち奥州・日光街道の道筋に当たる江戸屈指の目抜き通りでした。この通りに面する「通油町」には、江戸時代中期に活躍した蔦屋重三郎(一七五〇〜一七九七)の書肆(出版兼販売)「耕書堂」がありました。
 寛延三年(一七五〇)、幕府公認の遊郭・新吉原(現在の台東区千束四丁目)で生まれた重三郎は幼くして新吉原で茶屋を営む喜多川家の養子となりました。安永元年(一七七ニ)には新吉原大門口の五十間道にあった義兄の茶屋「蔦屋」の軒先を借りて貸本・小売取次の商売を始め、安永四年(一七七五)からは吉原の案内書である「吉原細見」の版元として出版に乗り出し、吉原関連の絵草子や黄表紙なども手掛けました。
 吉原細見の独占出版を始めた天明三年(一七八三)には、数多くの書肆・草子屋・問屋が軒を連ねる日本橋の通油町に拠点を移し、黄表紙・洒落本・狂歌本・錦絵などを、出版して、江戸でも有数の地本(江戸で出版された草子類)問屋となりました。
 重三郎は江戸の人々の嗜好や時流を捉えること、才能のある戯作者・絵師などを見抜いて大成させることに長けていました。戯作では朋誠堂喜三ニ・太田南畝・恋川春町・山東京伝・十返舎一九など、絵師では勝川春章・北尾重政・鍬形寫ヨ・葛飾北斎・喜多川歌麿・東洲斎写楽などの作品を出版し、版元として数多くの実績を残しました。
 寛政三年(一七九一)には、寛政の改革による出版取締令の対象となり、重三郎が手掛けた出版物の発禁処分や身上半減の闕所処分(財産の半分を没収)などを受けて商売の縮小を余儀なくされます。しかし、趣向を変えて出版を続け重三郎は、翌年に画才を見出し庇護してきた歌麿による美人大首絵を発表して一世を風靡しました。
 さらに、寛政六年(一七九四)から翌年には、写楽による役者絵を次々と出版して人気を博し、寛政九年(一七九七)に没するまで日本橋の地で大きく躍動しました。
 葛飾北斎が手掛けた江戸名所絵本「画本東都遊」には紅絵問屋の看板を出す「耕書堂」の店舗内外の様子が描かれており、往時の盛況ぶりをうかがうことが出来ます。

 追加画像 上野たちばな マスター  2025年8月21日(木) 22:39 修正
その(1)

 追加画像 上野たちばな マスター  2025年8月21日(木) 22:40 修正
その(2)

 東宝映画『国宝』を観て来ました。3時間の大作です。 上野たちばな マスター  2025年7月15日(火) 22:06
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東宝映画『国宝』を観て来ました。3時間の大作です。
introduction
その才能が、血筋を凌駕する―――。
 吉田修一自身が3年間歌舞伎の黒衣を纏い、楽屋に入った経験を血肉にし、書き上げた渾身作「国宝」。任侠の一門に生まれながらも、歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生を捧げた主人公・喜久雄50年を描いた壮大な一代記。そんな「国宝」が、世界最高峰のスタッフ&キャストの奇跡のような集結で、堂々の映画化を果たす。
 本作のメガホンを執るのは、李相日監督。『フラガール』(2006)では日本中を感動の涙で包み、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞した、常に最新作が期待される監督。
 脚本は奥寺佐渡子。複雑に絡み合う人間関係や、心のひだの部分にも光を当てる表現でさまざまな脚本賞の受賞歴もある、日本を代表する脚本家だ。
 撮影にはソフィアン・エル・ファニ。緻密で繊細なカメラワークを得意とする世界の名匠が、李相日監督作品に初参加。
 美術監督には種田陽平。歌舞伎という禁断の世界をより鮮やかに演出する。
 また、四代目中村鴈治郎が本作の歌舞伎指導に入り、本編に俳優としても参加。緻密で繊細な所作を俳優陣へすり込み、作品を高みへと引き上げる。
 キャストにも、日本を代表する超豪華俳優陣が集結。 主演である稀代の女方・立花喜久雄を演じるのは、その圧倒的演技力で脚光を浴びる吉沢亮。 喜久雄のライバルとなる歌舞伎名門の御曹司・大垣俊介を演じるのは、数々の映画賞に輝く横浜流星。  そして歌舞伎名門の当主・花井半二郎にもはや世界的名俳優と名高い渡辺謙。 さらには、高畑充希、寺島しのぶ、田中泯、永瀬正敏、森七菜、三浦貴大、見上愛、黒川想矢、越山敬達、嶋田久作、宮澤エマといった、日本映画には欠かせない主演級の俳優達が一堂に揃い、物語をより美しく、熱くする。
 超一流の原作&キャスト&スタッフが圧倒的熱量で贈る『国宝』。 人生で観るべき、唯一無二で濃密な映画体験を。

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