葛飾柴又帝釈天
ご存じ『フーテンの寅さん』の故郷に、自分自身の昭和ロマンを懐古するためにやってきました、映画フーテンの寅さんは私の若かりし頃の定番映画でした。 山田監督のポリシー等も感じるシリーズに昭和時代の心の郷愁に感動していました。 駅を降りて直ぐに寅さんの出迎えを受けて、帝釈天の門前で早速ミーハーオジーらしく土産のウインドーショッピングです。 「とらや」で名物草だんごを頬張り、鮎の塩焼きに武者振りつき、そして鰻重と食べ捲りました。 喰う事ばかりではありません子供の頃の所謂一銭店に入り昔のヒーローのブロマイドを観たり、古い今や骨董品のゲーム機を見詰め直したり、「とつけ」をやってさもない景品に幼い頃の郷愁に浸っていました。
幼少の頃の私は田舎の温泉湯治場に生まれ育ち、田舎でもあるに拘らず湯治客や観光客の多い中で、子供なのに夜遅くまで遊び呆けていました。 時に都会から来た子供たちと喧嘩もして、友達になって一緒に野山の探検に連れ出し、一時の親友気分に浸っていました。 互いの街自慢で情報交換をしながら都会かぶれしていた。 また「アベック」等と言う言葉を新鮮に興味深く感じ妙に大人の世界に関心を抱いていた変な子供でした。 今はマセても、ヒネても、スレてもいません只の「変なオジサン」です。
帝釈天の裏には江戸川が流れ「矢切の渡し」があります、勿論そこもブラツ記オジーが行かない訳はありません。 ちあきなおみ、細川たかしのヒット曲で有名なロケーションで、私はカラオケ好きでこの唄を何百回唄ったことでしょう。 昔「吉原遊郭」辺りから抜け出した遊女と男が秘かに江戸を離れて北へ逃れて行くラブロマンを彷彿させます、「♪連れて逃げてよ♪ついておいでよ」 何処に行くのでしょうか、私の生まれた東北の片田舎の湯治場辺りなのでしょうか、死をも覚悟の逃避行は成功するのでしょうか、もし成功していれば私の先祖かも知れない、なんて妄想に耽っていました。 その日は風が強くて渡し舟には乗れませんでした、残念。
昭和懐古に浸りながら、帰り道はまた門前の出店に立ち寄りお店で振舞おうと思い名物お土産を買い漁りました、そして今夜のカラオケは「矢切の渡し」を絶対に唄おうと心に決めて帰途に向かいました。
|