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■ オジーの東京ブラツ記0031 『本土寺・紫陽花寺』2018.10.01

『本土寺・紫陽花寺』

 紫陽花の似合う梅雨の季節は、毎年何処かの紫陽花の名所に出向き散策をします。 今年の梅雨時は千葉県松戸市平賀の本土寺に行ってきました。 
 流石に紫陽花寺と謂われる様に、広い境内には濃い青や薄い青、淡い暖色系の花々が今真っ盛りと咲き誇って居ました。 寄せ植えの間を道すがら歩くと仄かな梅雨の香りがしてきます。 庭園の菖蒲池には、時期は過ぎていましたが少し前までは、彩とりどりの菖蒲の花も楽しめた筈でした。 小雨に煌めく露を湛えた紫陽花は私の心を癒します。
 此処『本土寺』は初めてなので、来るまではどんなお寺なのか知る由も有りません。 平賀忠晴の屋敷跡に曾谷教信が法華堂を建立したとされている。 後に日蓮に学んだ直弟子の日朗が本土寺として開山供養した。 日朗は鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧で下総国の出身、父は平賀有国。 幼少より才覚を表し16歳で日蓮を師として法を学んだ。 と、書いてあり由来の概要を初めて知った次第でした。

 話は突然に飛びますが、高校の時の歴史の授業を思い出しました。 歴史の授業で鎌倉時代の仏教界の状況、そして特に日蓮の活動等を学ばされました。 
 学ばされました、と言ったのは、実はその歴史の先生はベテラン先生でとてもユニークな授業を信条としているらしく、生徒6人位のグループにしてデスカッションをさせるのです。 何故?鎌倉時代に仏教活動が激動したのか等のテーマを投げかけ、各グループにアドバイスしながら廻り、そして発表させます。 この様な授業を通して、一方的に教えられるだけでなく自分達から何かしら学ばなければ、と感じさせられました。 
 
 ユニークなベテラン先生は私にとって他にもエピソードがあります。 先生は演劇部の顧問もしておりました。 部と謂っても文化祭が近くなると寄せ集めで立ち上がる臨時的クラブでした。 唯一人の部員の部長が熱心に年間計画やスケジュール立てていました。 傍から見ると彼は堅物で正義感が強くケンカも強いが情に脆い憎めない先輩でした。
 
 その年の文化祭も近づいて、計画が発表され原作・シナリオ・演出、キャスト、音楽・照明・大道具・小道具・スタイリストが決まり、部長から発表されました。 原作・シナリオ・演出はベテラン先生です。 キャスティングは事前に先生の作品への制作意向を聞いていた部長が割り振りました。 音楽や照明等、裏方は全て臨時部員を混ぜた全員です。 ストーリーは古代ギリシャの聖者が活躍する時代の或る聖者の物語でした。 舞台背景は倒壊した大理石の建造物群を思わせる廃墟です。 主役の聖者はキリストやソクラテスがダブった感じで、宗教家か哲学家か詳細は忘却の彼方です。 
 
 話は、そのキャスティングでの奇妙なエピソードが、私にとって少しほろ苦い思い出となってしまった、と謂う事です。 キャスティング発表で部長は、主役の聖者に私を割り振ったのです。 出演者は全学年から寄せ集めた臨時部員です、その中から台詞覚えが比較的良いから選ばれたのかくらいに思いました。 その日は台本を渡されて解散になり、翌日から台本読み合わせが始まりました。 確かに長い台詞が多く、中身も決して明るくなく重く荘厳な感じで全編を流れるのです。 長い台詞も受けた以上やる気満々で読み合せていました。 

ところが一週間目頃、練習風景の雰囲気が何故か違ってきました。 どうやら部長のキャスティングが間違ったらしく、自分で困惑して悩んで居た様子でした。 後輩の臨時部員が部長のコピー人間の様な正義感で、この配役は間違いで主役はK先輩だった筈なので代えた方が良いのでは、と提言しました。 気の弱い私は当然のこと、困惑して黙ってしまいました。 その他の聖者(その1)役のK先輩は優しく執り成し、みんな決められた配役で一生懸命練習して居るのだからそれで良いです。  そう謂えばこのシナリオは彼のために書き下ろしたのではないだろうかと感じました。 古代ギリシャの彫像に似た端正な顔と長身の筋肉質で、私とは真逆の容姿だった。 薄々気付いたその時点で辞退すれば良かったのかも知れない。
 
 ユニーク先生は台詞もここまで覚えたのだから大丈夫、これで行きましょうと立ち稽古の演出へと一段と力が入りました。 取り違えた張本人のおっちょこちょい部長は罰悪そうでしたが、直ぐにこの儘で行きましょうとノリノリで雰囲気を変えようとしていました。  私は皆の言葉を聞きながら悩んでしまった。 ここで即座に辞退すべきか、奇妙な機会ではあるがやり通すべきか。 辞退していたら私の今の人生は変わって居たのだろうか。
 
 この劇は古代ギリシャの聖者の様な風貌の先生が、原作・シナリオ・演出そして主演をすれば最も好い作品ではなかったろうか、と思います。 この先生のユニーク振りは以前に書いた応援歌の作詞、そして演劇部顧問、歴史、倫理社会の授業、それから美術クラブの一般応募の審査員もしていた。 美術の審査のユニークさも追々に書きたいと思っています。