『越後湯沢・「雪国」に想いこがれる』
“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。” かの有名な小説「雪国」の冒頭文ですね。 この川端康成の小説「雪国」は、遅咲きの思春期の学生時代に読み、何時も何かと憧れていました。 当に雪の降る雪国、越後湯沢に行って来ました。 上越新幹線の長い県境のトンネルを抜けて湯沢に降り立った、スキー場も直ぐ目の前に在り、道も所々が雪の回廊に為っていた。 旅館のワゴン車に迎えられて先ずは宿へと、宿帳に記帳する間ももどかしく、川端康成が実際に執筆した宿『高半』にと案内して頂いた。 高半は湯沢最古の老舗旅館だそうで、特に川端康成が逗留した部屋「かすみの間」は当時の其のままに保存して在るそうです。 川端康成が芸者(松栄)と過ごしたエピソードや、作中の主人公(芸者駒子)と島村の純愛悲恋物語や、川端康成が創作執筆に没頭している姿、 そんな事の想像が交錯する、時を超えた空間でした。 私も暫しこの甘美な空間に浸り、長火鉢の滾る薬缶の音を聴きながら、障子越しの雪景色に仄かな温もりを肌で感じました。 小説と映画と現実が混ぜ合わさり、私は「雪国」の世界に浸りきって居ました。
私は、文学青年紛いかな?と思うくらい、読書好きでした。 ジャンル分けはしていませんが、興味本位の手あたり次第で、全くの系統付け無しで読んでいました。 そんな訳で学生時代は文芸部なる処に所属して、日夜雑多な文学論等を熱っぽく論破する仲間達の話を、半ば冷めながら聞いて居ました。 新入生の時、同期10人程で詩集を作ろうという事になり、ガリ版刷りで創刊号だけ一発のみの、300部を出版しました。 各自の原稿作り、表題名、編集校正、ガリ刷り、印刷、製本と各工程の作業を侃々諤々ワイワイガヤガヤと遣り合って、約1ヶ月で纏めた思い出が有ります。 そんな粗末な青春の一時の詩集でしたが、今は誰も「思い出」としても持って無いでしょう。 そんな稚拙的怠惰な生活の中でも、私は何時も恋心を持って居ました。 或る時、山間の田舎に住む瞳が綺麗な純真な女性に恋心を懐きました。 早速、文学気触れの私は、彼女をモデルに純愛物語の短編小説を書く事にしました。 日本の有名な三大?純愛小説、川端康成の「伊豆の踊り子」、三島由紀夫の「潮騒」、三浦哲郎「忍ぶ川」を既に読んで居るので、感化か毒気か判らないが大いに気触れて居ました。 それで私は原稿用紙に何枚も何枚も書きなぐり、書いては捨て書いては捨を繰り返して居ました。 結局は完結せずに何処かに消滅してしまいました。 途中、幾らか纏まった時に、彼女に見せた様な気もするが、其のままだった様な気もする、何ともいい加減な最初で最後の純愛短編小説でした。 私はまた恋文を描くのが好きで、大量のラブレターを書いては送り付けるのが得意でした。 その都度恋した女性に三日と空けずに、便箋で10枚を超す長文を書いて居ました。 内容はと言うと、今はもう忘れてしまいましたが多分、大した内容も無い駄文の繰り返しだったと思います。 それでも胸躍る淡い恋愛ゴッコでした。 相手は嬉しかったか迷惑だったかは余り頓着しなかった。 今時だったら手紙魔、恋文ストーカーかも知れないね。 そんな女性の一人に45年も一緒に暮らして居る伴侶が居ます。 尤もここ4年程は私の仕事の関係上、単身赴任で都会暮らしをして居るので、「夫、元気で留守が好い!」状態です。 小説家のゆかりの地や、小説の題材に為った所や、記念館などの探訪旅行は大好きで良く行きます。 また旅行に行った先々で偶然に出遭うと嬉しくなり、新たな興味も沸いてきます。 九州小倉城では松本清張、湯河原温泉では何人かの小説家や歌人、加賀・金沢では室生犀星、伊豆天城峠の川端康成と「伊豆の踊り子」のゆかりの地などは当時の良き時代を感じさせます。 金沢や伊豆などは何度も行ってみたいし、情景を想い創作風景を身体で感じてみたい。 伊豆伊東温泉の或る別荘に行った時は、1室に風情の或る書斎が在った、これこそが作家が長期滞在して大作を執筆する処ではないか、と想われる夢の空間だった。 私も何時かは此処でせめて2泊3日で随筆を書きたい! ってね。 これからも彼方此方と旅をするかも知れない、そして多くの文学ゆかりの地に遭遇するかも知れない、または文学探訪の目的を持って出掛けるかもしれない、これから先もまだまだ楽しい「オジーの東京ブラツ記」を書き続けよう。
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