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■ オジーの東京ブラツ記0028 『隅田川水上バス』 2016.06.19

『隅田川水上バス』

 浅草寺から隅田川水上バスに乗り込んだ。 江戸時代の下町風情が最も感じられるだろう隅田川界隈を、水面から多くの橋を潜り抜けて探訪したかった。
 吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、新大橋、清洲橋、隅田川大橋、永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋、それに川上の方に言問橋、桜橋、白髭橋と実に沢山の橋が架かっている。
 
 吾妻橋は、この付近に住んで居るので良く散策などで渡ります。 対岸の隅田公園は桜の名所で何度か花見に出掛けました。 ♪春の麗の隅田川、上り下りの船人が、櫂の滴を・・・♪ 言問橋から両岸を360度眺めると、桜並木が殊の外綺麗です。 キラキラ輝く水面に、行き交う屋形船や遊覧船が織り成す風情は、此処は「お江戸」なのかと思うほど長閑な風景です。
 
 駒形橋、厩橋、蔵前橋もよく渡ります。 蔵前界隈は以前に米蔵が軒を連ねていたそうです。 岸辺に、連なる蔵群や塀越しの松が見え隠れします。 江戸時代幕府の米蔵内に在った松の大木は、『首尾の松』と言って吉原へ船で往来する目印になっていたとか。 それぞれの由来、風景は遠い江戸、下町東京を感じさせる懐かしい風景です。 

 両国橋はかって両岸共相当な賑わいだったそうです。 東側は謂わずと知れた両国国技館が在ります。 大相撲は350年も昔の、江戸の頃から両国橋近くの、寺院境内で行われていたそうです。 今も相撲部屋が多く在り、『おすもうさん』が歩いていると、何やら嬉しくなる。 髷と着物で生活する風情は江戸時代を感じさせます。 大相撲は江戸時代の大衆文化の最たる物の様な気がする。 一般的に大相撲は、スポーツか文化か等と議論されたりするが、命を張ったスポーツでもあり、または何百年も掛かって築き上げられ伝承されてきた、大衆文化でもある様な気がします。 大仰な理屈で観ている訳ではないが、大相撲ファンで東京に出てから何度も足を運びました。
 
『すもう』の好きな私は、物心が付く頃から、遊び仲間たちと集まれば必ず相撲をしていた。 外でも内でも何処でもが土俵でした。 自分達の家や旅館の部屋は何時も見付かっては怒鳴られていました、「外で遊べ!」と。 相撲で真面目な話、私は小学校高学年で『将来の夢』は、と訊かれて「相撲取り」と答えていた。 当時身長は130センチ台だったと思うが、思春期にかけて大きく伸びることを確信して夢見ていた。 体は小さいが『すもう』だけは妙に強かった。 近所の相撲仲間にあらゆる遊びに長けた子が居た。 研究熱心で勝敗の結果をデータ化してノートに書きとめ、勝つための綿密な対策を練り実践して行く子だった。 後に将棋、囲碁、麻雀、競馬、野球、ボウリング、勉学とそれなりの頭角を現し、処世術に優れた立派?なサラリーマンに為った。
 その子は当時、私の得意技、『右上手出し投げ』に何時も負けて、嘆き研究をしていた。 私は立合って直ぐに左差し右上手を取る、所謂左四つ組手です。
 右上手で横まわしを充分に取ったら間髪を入れず、左差し手を抜いて頭を付け、体を左に大きく開き腰の捻りを利かせて、時には左手で相手の首筋を押さえつける。 この必殺技で大抵は投げ出すことが出来た。 彼はそれを研究し、そして得意の組手にさせまいと対策を立てて来た。 お互いが学習するので勝負は拮抗して大相撲?になった。 私の体の開きと腰の捻りは先天性なのか、他のスポーツではプラス面と致命傷的な面とに別れていった。 今、ゴルフに夢中だがフォームが全く駄目で、『右上手出し投げ』が災いしてか、未だに百切が定着していない。

 両国橋、清洲橋、永代橋は日本橋界隈、神田川を中心とする江戸時代からの運河都市でした。 江戸時代の中枢の街であり経済、社会生活、あらゆる分野の始まりの拠点でもありました。 当然、庶民文化も此処から発展して行く。 先に触れた吉原行きも、この界隈の柳橋から船は出た。 芝居町や浅草寺、吉原遊郭に入るには、柳橋から船に乗って駒形橋界隈や山谷堀で降りることが多かった。 吉原に入る船は、待乳山聖天(まつちやましょうでん)を目印に山谷堀に入り、細くなる堀の溜まり場で、船を降りて土手通りを歩いて行ったそうです。 当時は勿論のことだが、今も柳橋は何とも言えない情緒があって、唯一水の都の名残が残っている。 今でも屋形船などの宴の船に乗る処、として機能している。 花街は、今も昔も私には縁遠い話ですが、隅田川界隈には実に多い。 柳橋、深川、辰巳、吉原、いずれも行った事は無いが、江戸の庶民文化探訪としては覗いてみたい処ですね。

 「橋巡り」のこの先は 新大橋、清洲橋、隅田川大橋、永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋、と潜り抜けて浜離宮へと行きます。 勝鬨橋は銀座、築地を散策した時に渡った。 袂の標識に『かちどきのわたし』と記してあって、縁起の良い語呂合わせだなと思い、フッと笑ってしまった。 橋の西岸はビッシリと船着き場が並ぶ築地の魚市場全風景が見えます。 間もなくこの市場は対岸の埋め立て地に急ピッチで建設、移転されます。 東京は何につけても最高ですね、実に素晴らしいですね。 私の『オジーの東京ブラツ記』も、今度は何処に行こうかな? まだまだ続きます。