『憧れの谷川岳』
先日は残雪の残る谷川岳の麓に行って来ました。 群馬県みなかみ町の谷川岳ロープウェイで天神平スキー場まで登り、3日ほど前にクローズに為ったスキー場から、憧れの谷川岳を望んで来ました。 残雪の白と青のコントラストに輝く雄姿に圧倒されて、私の心は畏敬の念で感動に震えました。
登山は子供の頃から何故か憧れていました。 特に専門の知識を学んだり、装備を整えたり、訓練をする訳では無く、漠然とあの山に登りたい、『登ろう!』 と謂う様な単純な動機で思っていました。 私の田舎に高さ400メートルくらいの、裏山程度の山が在り、それは葉山と言う名で、家から5キロメートルくらいでした。 小学4年の夏休みに近所の子供たち4〜5人とプチ登山と洒落込みました。 無謀だったかどうかは判りませんが、当時の親達も誰も咎める事も無く関心さえなさそうでした。 登山道も無くただ獣道の様な道を、重なり合った笹薮を何度も潜り抜けて山頂に達しました。 山頂とて整備されている訳でも無いから、大きな木々の合間から街を見通して、「あれが俺たちの部落だな!」、等と言いながら登頂感を味わった思い出があります。 無謀と謂えば中学一年の頃に、家から30キロメートル先山奥の、蔵王連峰大東岳に登ることにしました。 標高は四千尺というから1200メートル強の、今思うと大人でも可成りハードな山で、小学校の校歌にも謳われている憧れの山でした。 学校の夏休みに『初めての独り旅』を決め込み、二泊三日の行程で綿密(?)な計画を立てました。 リックサックに詰るだけ詰め込んだ装備(?)と、精一杯の食料を背負い早朝に自転車で出発しました。 途中20キロメートルくらい先のキャンプ場で一泊して、翌日また早朝に出発する計画でした。 私はその当時、多分140センチに満たない身長だったと思います。 そして自転車は今の自転車とは比べ物に為らないくらい粗末な実用車、しかも道路は全線砂利道です。 ちっちゃい男の子が脚も満足に届かない自転車で、砂利道を20キロメートルも、荷物を着けリュックを背負って走るのは、無謀を越して多分滑稽そのものだったでしょう。 夕方着いたキャンプ場には、当然の事ながら他の大人や子供たちのグループや家族の人達が沢山居ました。 皆がはしゃいで夫々に食事やキャンプファイヤの準備をしていました。 私も片隅に遠慮がちに野宿の準備をしました。 山の出会いは自然の開放感の所為か直ぐに挨拶を交わし親しくなります。 早速、子供達や大人に混じって遊び回って居ました。 ここでのキャンプは小学校高学年の校外学習で来ていたので、直ぐ側の渓流や遊歩道の探検そしてファイヤー用の木々集めと楽しく遊んでいました。 やがて独りでキャンプに来ている経緯等を気さくに話していると、一つの家族親戚グループに夕食とキャンプファイヤに招待されて、益々親しく為りはしゃぎ回って居ました。 ♪遠き山に日は落ちて・・・♪の合唱も終わり、やがてキャンプファイヤの残り火もちょろちょろと為る頃、大人達の一人の山男が静かに言った。 「明日の単独登山は止める様に」と、私の人格を潰さない様に、の配慮が充分に籠った言葉で話しました。 私はその場では即答しなかったような気がします、薄々自分でも余りにも無謀な計画と思えてきたので、『止めようかな』と思い始めていました。 結局翌朝は早朝どころか、周りの朝の準備の喧騒で起き出しました。 「行かなかったの?」の問いに「ハイ止めました」と答えて、其のまま又はしゃいで遊んでいました。 大人たちは無謀・無頓着な子供の言動を解って居たのだね、そのまま其の事に着いては問う事もありませんでした。 後に大人に成ってからはこの大東岳には幾度となく登りました。
無謀ついでにもう一つ、50歳の時の大病の1年半後だったか、やはり蔵王連峰の船形山に登りました。 残雪の残る5月初め、登山道は雪山登山と変わらないくらいでしたが、幸いに快晴で絶好の登山日和でした。 遠く東は仙台平野に太平洋、西は朝日岳連峰と絶景を眺望しながら、雪渓で冷やした山頂でのビールは格別です。 早々の下山はお尻スキーで大ハシャギ、沢の雪渓を注意深く歩きながら、それでも足を滑らせてスッテンコロリ、ズボンは泥だらけです。 やがて険しい登山道は終わり、駐車場まで砂利道の林間道。 そこを降りる頃は疲れがピークなのか脚が攣り出し、膝が諤々笑い出し歩けなくなりました。 それにも増して山頂を降りる頃から、咳が止む事無く続いて居て、痰に血も滲む様になりました。 勿論、慌てて病院に行きましたが、「持病に血液をサラサラにする薬が処方されているので、肺から出血したのでしょう、2〜3日で治るでしょう」との事。 特別な事にはなりませんでしたが、後で思うと、これも又大変な無謀行為でしたね。 それ以後は高い山に登山していません。
私は有名な山が好きです、良く謂われる言葉に、『有名な高い山を望める処に育った人に将来大成する人が多い』と。 そう謂う訳では無いのですが、東北の百名山、日本の百名山等には憧れて、東北では早池峰、焼山、栗駒岳、月山、鳥海山、船形山、五葉山、蔵王熊野岳、大東岳、吾妻小富士等などに登りました。 東京に出てからは、高尾山、そして日本百名山を麓から望む、上高地から穂高連峰、そして今回の天神平から谷川岳を、と望んできました。 もうこれからは高い山の登山は出来ないでしょう、せめて名山の麓で『百名山の制覇』に臨みたいですね。 日本一の富士山も登ってみたい、と謂う強い気力も薄らいできましたが、裾野で畏敬の念を懐きながら、富士山パワーに包まれてゴルフをしたいですね。
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