『関東平野』
いったい何処からどこまで関東平野と称するのだろうか。 関東平野は関東地方一都六県にまたがる日本で最大の平野である。 北に男体山と日光連山、左が三国連山の辺りまで一口に1万7000平方キロメートルと言われてもピンとこない。 東京都、千葉、茨城、栃木、群馬、埼玉、神奈川各県に渡って広がっています。 オジーも当然の事ながらこの広大な平野に興味を持ってブラツキ、手始めに日光に参詣しました。 徳川家康がこの広い平野に眼を着け江戸幕府を開き、自身を御神体として日光に東照宮を造りました。 花のお江戸からこんなにも離れた山の麓に造った事が不思議でしたが、でもそれは行ってみて直ぐに頷けました。 「没後もこの未曾有の平野は未来永劫、私の目の届く範疇だ!」と誇示する様に、世にも壮大な陽明門を造ったのだと思いました。 日光は50年以上も前に中学校の修学旅行で来ている。 わが故郷仙台にも東照宮があり、伊達家が徳川家に忠誠の誓いを表す為に造ったのかも知れない。 その仙台から当時、蒸気機関車で複数の学校と一緒に『臨時修学旅行列車』に乗って来た筈でした。 どんなルートで行ったかは全然覚えていないが、関東に入ってから方々は観光バスで3泊4日の移動をした記憶がある。 東京に出てからゴルフや温泉、植物園などで関東一円を何度か徘徊した。 車で栃木県の西方のゴルフ場に向った時は、途中大きい川を走行中観えた富士山には、「こんなにも遠くから眺める事が出来る、流石、富士の山だ!」と感動しました。 空気の澄んだ冬なども東北新幹線の車窓で、大宮駅界隈からも観る事ができます。 富士山はスカイツリーからも充分観る事が出来る筈ですが、完成して間もないスカイツリーに、上京して来た孫達と一緒に登った夏は、霞んで全く見えなかった。 何時か再度チャレンジして観たいものですね。 栃木県の茨城県境近くの温泉にも行った。 夕闇もとっぷり暮れた露天風呂で遠く高い飛行機の光を眼で追っていた。 山並みは低く、夜空が広く大きく、ビルの谷間の狭い夜空とは全く違う事と感じる。 数本の飛行機の光はゆっくりと星の間を流れていた。 私は夜風が肌を霞める露天風呂が大好きで、解放的な幸せを感じる事が出来ます。 ゴルフ場はもう何ヵ所行っただろうか、群馬1、栃木2、茨城5、千葉1、埼玉1、神奈川ナシで静岡2、東京はナシです。 大分行っている様な気がするが、関東平野のゴルフ場は私の棲む上野からは相当に遠いのです。 仙台に居る時は殆どのゴルフ場が車で1時間のアクセスで行けます。 そして殆どが山間コースで山在り谷在り、そして池、崖、バンカーと障害だらけです。 その点関東平野のゴルフ場は平坦地が多く、まるっきりフラットも在ります。 私自身は、見通しも良く風景が綺麗で、解放感が有る好きなゴルフ場です。 好きなゴルフ場だからと謂って、決して易しいコースだと云っているのではありません。 それはそれなりに相当に難しく、私のスコアーは一向に上がりません。 10年以上はゴルフ場で遊んで居ますが、ハンディ36(オフィシャルに非ず自己申告)で常にダボペースで108を叩いています。 人の煩悩の数だけ叩いて、ゴルフで楽しく遊びながら煩悩を消し去って悟りを啓こうかと想っている日々です。
植物好きの私は関東平野に多く点在する植物園、庭園、公園にも興味を持って居て、有名な処、綺麗な処、貴重な処と聞くと行きたくなります。 ひとつに、栃木県足利の植物園に絢爛豪華な藤棚が在り、色々と種類の違う見事な藤の花が咲き誇って居る、と聞き矢も楯も堪らず行きました。 噂に違う事なく樹齢数百年と云われる藤の大木に数百畳の藤棚が在りました。 棚一面に1メートルもの花房が立錐の余地も無く垂れて居て、あたかも藤色の何処までも深みのあるカーテンの様でした。 この光景は誰もが元気な内に観ておきたいものだと感じました。 これらの大木は栃木県の天然記念物に成って居るらしく、よく管理されて居ました。 水戸の偕楽園の観梅会にも行って観ました。 水戸藩の庭園は日本三大庭園の一つで梅林も見事で豪華絢爛でした。 その時は短い時間だったので今度はゆっくりと散策して梅の香を楽しみたいと思います。 この他にも行って観たい処は沢山あり、埼玉辺りに芝桜の綺麗な有名な公園が在ると聞いているので、その節には是非に満開の芝桜を観たいものです。
私の畏敬する日本一の関東平野は日本一の富士山を崇め何かと日本一に拘っている素晴らしい処です。 そんな一角の上野に、私は64歳にして『男の浪漫』を求めて故郷仙台から出て来ました。 何年掛って求められると謂う物でも無いので元気で働けるうちは憬れの東京でブラツキ捲る事でしょう。
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