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■ オジーの東京ブラツ記0022 『王子電気軌道』 2014.12.17

『王子電気軌道』

 都電荒川線はその昔「王子電車」と呼ばれていたそうで、東京都払下げで都電となったそうです。 その後交通事情、経済事情等により憂き目に遭ったが、三ノ輪橋から王子、王子から早稲田までの路線は残されて現存して居ます。 私は東京に出て来てから、鉄道マニアでは無いのですが是非乗りたくて、機会を窺って居ました。 

 私の故郷にも、市街地から田舎の温泉街までの約16kmに軌道電車が走っていました。 10駅弱を一時間間隔で小一時間ほど掛っていたと思うので、時速20km弱のノロノロ運転でしたね。 私が中学1年まで走っていて、その後は廃止されてしまいました。当然それまでは大分利用して楽しい思い出が一杯ありました。
 
市街中心にお祭りや所用が有る度に、父親に電車で連れて行かれました。 今改めて鮮明に思い出すのは仙台七夕の繁華街で、メインの通りを逸れない様にシッカリと手を引かれていました。 桃太郎の仮装行列、もしかしてチンドン屋だったのかもしれない、余りの人々の賑やかさにキョロキョロして歩いていました。そして多分当時傷痍軍人だったのだろうか、白装束に体中包帯だらけの小集楽団が音をガナリ立てて居た。 恐ろしくて怖くて父の後ろに回って覗き見ていました。
 
 地元の小学校を卒業して、中学校は約5kmづつ東西に離れた町に在りました。 当時はどちらの学校を選んでも良く、私は少しでも都会に近い方をと思い、電車通学を選びました。 方や自転車通学なのですが、当時も足が短くて大人の自転車は乗れませんでした。 そんな訳で市街に近い中学校に颯爽と電車通学と洒落込みました。
 
 東京に棲むようになり、都電チンチン電車が未だ在ることを知り、懐かしく思い乗ってみる事にしました。 私は仕事関係のお友達多数が参加するボウリング大会に参加しています。 会場の王子のボウリング場に向かう交通手段をわざわざ都電荒川線にしました。 三ノ輪橋駅から始発です、殆ど軌道敷内を走り途中、信号機や遮断機待ちや各駅の停車で止まる事度々です。 商店街の間や住宅街の直ぐ裏や公園脇を通って走り進みます、時折発車の合図が「チンチン」と鳴り都会のど真ん中を長閑に走っています。 子供の頃の山と畑と田圃の中を長閑に走る風景とは少し違って居ましたが、「チンチン」の発車の合図は同じに聞こえました。

 荒川線車庫の前を通る時には人だかりに一瞬驚きました。鉄道マニアや熟年カメラマンが大勢して思い思いの電車を撮り捲って居ました。 荒川沿いの公園を通った時は、桜の時期には途中下車して花見でもしてみようかとフト想いました。 王子の駅で下車してボウリング場に行くのですが、駅の直ぐ脇に飛鳥山公園等も在り桜の名所の様です。 又、石神井に遡る水路脇は遊歩道になって居て、矢張り桜の頃は賑やかな花見風情となる様です。 今度の桜の季節はこのルートで花を楽しもう。
 
 ボウリングは40年も前頃のブームの時によく遊んだ、何時も友達と長い待ち時間にもめげずにワイワイガヤガヤと奇声を発して夜中まで騒いでいた。
近年、熟年世代の愛好者が復帰して静かな再来ブームを起こしている様子。ミーハー思考の私も、東京に出て来て早速にブームに乗って始めました。昔と違うのは唯の遊びでだけでなく、マイボウル、マイシューズ、キャリーバッグ等々、所謂道具とファッションから入ったのです。それはそれで楽しいのですがなかなか上手くなれない、スコアー云々のレベルまで達しないのです。 
 スポーツやゲーム等何事も上手くなるには常々の練習が第一です、その習慣が無いものだから何時も何事も初心者レベルの侭で進歩が期待できないのです。 
2カ月に1回の大会に出る様に為ってから10回ぐらい出て居ますが、何時も意欲とは反対の期待外れの成績で終わっています。それでも内一回は何かの間違いか全くのラッキーなのか優勝してしまいました。その後も続く事は無く今回も問題外でした。67歳の身体に鞭打って鍛えなければならないと思っています。

 これから先もこの都電荒川線に乗るでしょう。そして思春期の頃の電車通学での淡い恋心を想い出しましょう。沿線の桜咲く景色を「花見の梯子」で眺めましょう。そして又ボウリングで優勝して満開の桜を咲かせましょう。