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■ オジーの東京ブラツ記0020 『下町界隈・松が谷』2014.08.07

『下町界隈・松が谷』

 下町と一口に言っても何処からどこまでか、私には分らないが勝手にこの辺りだろうと思っている。 それは東京湾から上野の裾野辺りまでの隅田川を挟んだ平地だろうと思っている。 この辺りは高い処でも海抜2〜3メートル位で、隅田川の東側は海抜0メートル地帯と謂われている。
 東京には「谷」の付く地名が沢山有る、日比谷、渋谷、世田谷、千駄ヶ谷、谷町、神谷、市ヶ谷、その他数えたら限が無い。 東京23区にも平野だけでなく、けっこう山や川や谷が在ったのだろうか。 上野界隈には「谷」の付いた地名が特に多いような気がする。 下谷、入谷、鶯谷、谷中、松ケ谷等が在る、と謂う事は上野の山から「谷」が伸びていたのかも知れない。

 東京に出て来てから二年半になるが一時期だけ『松ケ谷』に棲んだ事があった。 最初は下谷、そして三度目は又下谷に棲んで現在に至り、何れも下町風情の残る上野界隈なのです。 この界隈は車も入れない程の細い路地が沢山残っており、お向いさんは玄関を開けると目と鼻の先、両隣は長屋の形態がそのまま残り、境界の空間は野良猫も入って行けません。 そんな風情の残る『松ケ谷』は、上野から浅草に繋がる合羽橋通りを挟んだ南北に位置して居て、お寺が多く昔を偲ばせる寺町の風景が在りました。

 私はよく徒歩や自転車などで散策していた。 昔ながらの珈琲屋さんもあちこちの街角に在り、つい覗いてホットコーヒーを注文してしまう。 厚切りパンの焼き具合の香ばしさとブラックコーヒーの香りを楽しみながら、読書をして時間を楽しんでいるような伯父様伯母様たちが居ました。 おっと、さり気なく若さをアピールしても傍から見たら只の小父さんでしかない私も、人間ウオッチングを楽しんで居ました。 
 
 角の八百屋を覗くとおじいさんとおばあさんが営んでいる店で、店の日除けは藤棚の様な棚に雑多な蔓系の草木が絡みつき、葦簀も立て掛けられ店内は昏く感じるくらいです。 江戸っ子(多分)おじいさんの口上につい果物を買ってしまいました。
 
 私が今も通っている床屋さんが在り、所謂三ちゃん農業ならぬ爺ちゃん婆ちゃん兄ちゃんの三ちゃん床屋で、座ると心が落ち着くのです。 私は床屋では最初から最後まで洗髪の時以外居眠りしています。 なにしろ歯医者さんの治療を受けて居ても居眠りしてしまいますし、バスや電車の中は勿論の事ちょっと心が許せる処ではついつい眠ってしまうのです。
 
 花屋さんにもよく立ち寄ります、季節を先取りした切り花や鉢植えを軒先に並べられて居て、私もつい目を奪われ衝動買いをしたくなります。 その所為か私の三畳一間のアパートのベランダは、雑多な鉢植えが足の踏み場も無くなる位に増えていきます。 今年も近くの「入谷の朝顔市」で日本朝顔(一年草5株寄せ植え)と琉球朝顔(多年草1株仕立て)二鉢も買い込みました。 止めども無く伸びる蔓に物干し竿まで盗られます、今年の朝顔は去年までの失敗の轍を踏まずに上手く育って毎朝鮮やかな紫の花を咲かせています。

下町のどの家も、何かしらの鉢植えを所せましと押し並べて居ます。 草花から常緑樹、果実の成る木そして観葉植物と、種別の系統など全く感じられない様な雑多な収集です。 横丁の通り全体を眺めると自由な植物園を観て居るようで一年中楽しめます。 

 戦後間もない田舎で過ごして居た子供の頃、よく草花を愛でて居た。 狭い庭に四季折々に雑多な花が咲き、まめに肥料も遣らないが多年草が多く、また一年草でも自然に種が零れて毎年咲いて居た様な気がする。 子供心に綺麗な花に興味を持ち、近所の庭で見掛けた気になる花は、オバサンにお願いして根分けして頂いた。 さらに挿し木や接ぎ木等で増やす方法を教えて貰い、意気揚揚として幸せな気分を満喫して居ました。 今、歳も重ねてもう直67歳に成りますが、植物の生態や綺麗な花を観て考えると、その頃と同じくらいいやそれ以上に心が躍ります。

 下町の路地界隈で、鉢植えやプランターを観て「こんな狭い処にこんな綺麗な花が咲いている」と思うのも、どんな所でも美しい花を咲かせる植物生態に、人は皆本能的に「美しく生きる」事を感じている様な気がします。 

 そんな事を感じながらこの『松が谷』を何時も散歩して居ました。 こんなに好きな路地界隈も、約10か月でオバサン大家さんと折り合いが悪くなり引っ越す事となり今は下谷に棲んで居ます。 オバサン大家さんは被害妄想的なところが感じられ、都会のオバサンと田舎のオジサンの意思の『谷』が深く、争い事を好まない田舎のオジサンが退く事になりました。