戻る
■ オジーの東京ブラツ記0018 『築地』2014.04.24

『築地』

 先日は東京メトロ日比谷線で上野を発ち、東銀座から築地本願寺、築地市場へ、勝鬨橋を渡って隅田川を眺め、そして銀座に戻りJR有楽町駅へと。この様な道程でオジーは東京をブラツいて来ました。
 
 築地本願寺は本堂の外観が、一般の木造建築の荘厳な建物と違い、鉄筋コンクリート造の石造りの様な趣でした。 ここはよく有名人や芸能人が葬儀をするので、名前は知っておりオジーとしては是非散策は有りかな、と思い参拝しました。 中の壁に東京大震災の頃の資料が貼ってありセピア色の写真が輝いていました。 
 
 前に仙台で東日本大震災に遭遇している私にとって心が痛みます。 津波に因って甚大な被害が発生して3万人もの尊い命が亡くなり、また行方不明となりました。 人々が築いて来た全ての物が壊滅的に破壊され、自然な風景や造られた風景も変わり果ててしまいました。 原風景にも感じる其処から元以上の美しい風景に為るにはこれから何十年懸かるのでしょうか。 平穏無事な生活環境から突然に安息を奪われ、古里も心の故郷をも消え去った人々の心は量り知れない絶望感に苛まれて居る事でしょう。 私は直接的に被害が無く根がいい加減だから一抹の痛みを持ちながらも平常で在ろうとしています。 直接的に影響を受けている人々は、頑張りながらも知らず知らずに傷が深くなっていき、何人かの友も避難地で病に伏しています。
 
 そんな事を思いながら合掌し、本願寺を後にして市場に向いました。 中の市場は休みらしく外の市場で散策しましたが、昼時なので食堂は何処も並んでいて、東京は相変わらず何処へ行っても人が満杯です。 並んで入った処はお寿司さんでした、手頃なランチ定食でしたがさすがに市場の食堂街で美味しく頂きました。 以前にブラツ記で東京でのお米のご飯がイマイチと書いたら、読まれた方から「関東の悪口はあまり言わないほうがいい」と指摘がありました。 勿論私は悪口の認識では書いておりませんが、そんな感じ方も有るのかなと反省いたしました、これからも『オジーの東京ブラツ記』を書き続けて行きたいので、皆さん宜しくお願いします。

 ビールも頂き満腹感で墨田川に架かる勝鬨橋を渡りました。 此処はその昔は渡し船が往来して居たらしく橋のたもとに『かちときのわたし』と石碑がありました、つい面白いと思い記念写真をパチリと一枚撮りました。 勝鬨橋は川の中ほどで橋が両方に跳ね上がり大きい船の往来の時に開いていたそうです。 今は開かれている様子もなく水上バスや遊覧船それに屋形船や作業船が引きも切らず往来して居ました。 橋は大型自動車が通り過ぎると地震の様に振動しますが、此処でも隅田川と築地市場の全景をバックにパチリともう一枚。

 帰り道は銀座四丁目のコーヒーショップ2階窓際で人間ウオッチングです。 交差点を一斉に縦横無人に行き交う人々や、ホコ天での取材をする人々受ける人々が織りなすメディア取材合戦、様々な営業トークで独楽鼠の様に動き何らかの営業成績を稼ごうとしている人々、またはパイプチェアーにどっしりと構えコーヒーをすすりながら目が中空を泳いでいる人々、 美しく着飾りアベックやグループで連れ立って楽しそうな談笑をして歩く人々。 そんな人達を夫々観て居ると、一人ひとりの夫々のドラマが浮かんできます。 差し詰め、自分が演出したその場限りの人間ドラマを銀座と謂う大劇場で観ている様です。
 
 銀座は私にとって「大人の夢の街」の感覚が有り大好きな街です。 また時には、高価すぎて買えないブランド店のウインドウショッピングや冷やかし感覚にも似た店員との遣り取りを楽しむ。 敵もさるもの「多分このオジーは買わない!」と値踏みして話に乗った振りをしているのでしょう。 うーん、それでもあのバッグ、あの靴、そして何百万円もする時計、欲しいな!。

 この大好きな街はこれからも何度も訪れる事でしょう、一先ず今日は有楽町からJR山手線に乗るべく歩き出し、途中で日本一売れる宝くじ店で取敢えず買わなきゃ当たらない籤を買いました。