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■ オジーの東京ブラツ記0014 『江戸城』2013.11.17

『江戸城』

 過日、宵闇迫る東京駅をブラツいた。 今回は東京駅から秋晴れの江戸城を散策した、とは言っても城内を徘徊する訳にはいかないので皇居外苑をブラブラと歩いてみた。 
 東京駅中央口から皇居に伸びている広い歩道を渡り、先ずは桔梗門広場まで行き、そこから城の風景を眺めた。 門前は団体旅行などのグループや少数グループが其処此処に居た。 外国人旅行者が多く特に東南アジア系の国々の人達が多い、それは顔を見るだけでは日本人と余り変わりは無いが、一度話し出すと、それはケタタマシイ程の叫び声に聞え直ぐに判断がつく。 そしてこれは不思議に私がブラつく何処ででも遭遇するのです。
 次に江戸城の象徴とも謂える『二重橋』に向いました。 ここもやはり国際色豊かで、私も皆さんと溶け込んだ御のぼりさんを自覚しました。 此処の『二重橋』、『めがね橋』は色々呼称が有って厳密には『正門石橋』と言うそうです。
でも私には「♪♪あれは『二重橋』、記念の写真を撮りましょうね♪♪」とメロディーが浮び矢張り『二重橋』です。 早速記念写真を撮り中学生の時の修学旅行と同じアングルで52年を一跳びです。
 次は江戸末期に伊井大老が暗殺された桜田門です。 この門の堀の向こうが刑事ドラマでも名高い警視庁ですが、あまり用もないので立ち寄りはしませんでした。 皇居一周マラソンコースが桜田門を通り、この界隈がスタート又は休憩場所になっている様です。 5キロメートルの道のりをランナーたちが思い思いにジョギングを楽しんでいる様子で、ミーハーの私としても来年あたり挑戦しなくてはと思いました。

 全国に数多くの城が在り、または城址がそれにも益して存在します。 今回江戸城を見て私が今まで見たお城を思い浮かべてみました。 先ず4年程前に熊本城を見たときは度肝を抜かれた、城全体の壮大さに門前で足が竦んでしまい、加藤清正公の銅像に睨まれた感じがしました、やや平坦な城下街に築かれた大山に更に天守閣が聳えて居て威風堂々そのままでした。 
 私は仙台だから青葉城です、城は消失していわゆる城址です。 しかも山城で城下を見渡す青葉山に在り、故に天守閣の必要性が無かったらしく空に聳える天守閣が無いのです。 近年、観光誘致の為に造営しようとする意見と学術的に史実を歪めてはいけないと言う意見が対立してか何も動いていない。 独眼竜政宗の騎馬像だけが城下一帯を、そして太平洋を眺望して居るだけなのです。
 最近は徳川御三家尾張のお城、名古屋城にいきました。 市街地まで面影を残す城郭の大きさを目の当たりにして、また聳え立つ天守閣を仰ぎ見ると当時の隆盛が思い浮ばれます。 そして静かな徳川庭園を散策しながら良き当時の世を想像し、世が世であれば私は何だったのだろうか、などと妄想していました。
 他にお城は小倉城、高松城、弘前城、鶴ヶ城、他にも沢山行っていますが、未だ行った事が無いお城も数え切れないくらい在る筈です。 これから先も機会が有れば出来るだけ足を延ばして「兵どもの夢の跡」を散策したいですね。
 先ずは伊達の小童としては江戸、尾張、熊本と行けば次は大阪、京都です、近いうちに是非にブラつきたいと思っています。

 桜田門を後にして日比谷公園に足を延ばした。 都内の公園なのに私の想像を超えた広大な規模に吃驚してしまいました。 庭園が在り、ローズガーデン、野外音楽堂、5面も在るテニスコート、日比谷公会堂、他にイベントスペースと中華風レストランまで在りました。 樹木や建物は如何にも赤煉瓦のレトロ風で、公会堂などは昔、青春時代にテレビの歌謡番組に映っていたそのままでした。 鈴懸の木下のベンチに腰掛けて暫しボーっと眺めて居ました。 秋バラが楚々と咲く洋風ガーデンはそれなりに綺麗で、初夏の盛を彷彿させる佇まいに感激し、盛の季節に又来ることを自分に約束しました。

 皇居外苑と謂い日比谷公園と謂い、大都会の真ん中程にこれだけの広大な空間が在るとは知らなかった、此処だけは空と大地と空間が違うと感じた、小春日和の青い空、樹木と芝生の緑の敷地、漂う空気の穏やかな時間と空間を初めて知った。 東京は私にとって無限大に広い、『オジーの東京ブラツ記』は永遠に続くでしょう。