『高尾山登山』
山登り(中高年ハイカー)は東京に出て来てから初めてでした。 常々、山好きの私は東京に来たのだから先ず『高尾山』に登ろうと決めて居ました、仕事が忙しくてなかなか実行されずに居ましたが漸く先日決行しました。 京王線高尾山口駅で電車を降りて間もなくに登山道前の広場が在り、ケーブルカーの駅も在り温泉観光地の駅前の様相で郷愁が漂います。 標高が599メートルとかであまり高くないので徒歩で登ることにし、6号路と途中から2号路、3号路とルートを変えて1時間半の行程で頂上に着きました。 沢を幾つか渡る道合に鮮やかな緑の濡葉にシャガ花が咲き、盛りは過ぎたが所々に楚々と咲いて歓迎している様でした。 水の音に耳を澄ますと小さな社の脇に修行者が水行する滝が在り、ふと私も修行したいと思いましたがどうやら前もって予約をしてそれ相当の修行をしなければならないみたいです。 初めての処なので方向感覚が定かで無くなりますが、どうやら東から東南斜面を、西面の頂上までのなだらかな道を登った様です。 途中、木々の間から新宿超高層ビル群やその先にスカイツリーが観え、更に南へと目を移すと川崎、横浜未来都市が見渡せました。 さらに頂上に近づく頃は神奈川県の山々が観え、頂上では名高い山々が峰を連ね、その先に富士山が観えた筈でした。 高尾山からの遠方の風景は全て霞んでいて少し残念でしたが、次はきっと晴れる時期を選んでもっと楽しもうと思っています。
56歳の頃に、宮城県と山形県の県境に聳える『船形山』に登った事があり、奥羽山脈の主峰となる火山(標高1500.34m)で『御所山』とも言われ日本二百名山に数えられています。 5月3日のGW中で天気も良く男女6人の仲間たちと一緒で最高の登山日和でした。 早春の雪解けの湿地帯や水芭蕉、金竜花を観て足元を濡らしながら登って行き、やがて登るにつれて雪渓が広がり、雪天井が抜け落ちて谷川の底に落ちないかと内心恐々でした。 いよいよ山頂に向けた稜線を登るときは冬山登山している気分で、青空の下雪上を一歩一歩踏みしめて頂上に着きました。 三百六十度の視界を眺め回し達成感を感じながら山登りの醍醐味を味わいました。 途中で雪を掬い冷やしてきた缶ビールとカップラーメンやコーヒー、オニギリの味は今でも忘れません。 帰り道は尻スキーで不格好の直滑降や足を滑らして泥雪まみれになり、子供心に戻って大ハシャギして下山しました。
それはそれで楽しかったですが、下山途中から咳が出始めなかなか止まらず、登山口の車に戻っても止まらず結局三日位も続き血痰にもなりました。 更に下山途中から足が攣りだし、三歩行っては二歩下がるでは無いですが休み休みで漸く車に辿り着きました。こちらの筋肉痛は三日位でやがて治りました。 後日、毎月一回の持病の定期検診に行ったおり主治医の先生に話したら、それは肺から出血したのですね、それは直に治るでしょう、との事でした。
私は50歳の時に先天性心房細動の発作で三ケ月ほど入院をしました、その時に脳梗塞、心筋梗塞の予防として血液をサラサラさせる薬を処方されました、以後飲み続け現在も飲んでいます、これからも多分一生飲み続ける事でしょう。そんな訳で出血し易くまた出血すると止まり難い体質となりました。そんな身体ですが俗語に人は一病息災と謂って持病が有ると身体を大事にするそうです、私も気を付けている心算です。
東京に来て、休みを取っての山登りは中々出来ませんが機会があったら又登ってみたいですね。 三浦雄一郎さんは80歳を越してエベレスト登頂に成功しました、 私は現在66歳です富士山頂に挑戦する機会はもう来ないのでしょうか。
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