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■ オジーの東京ブラツ記0011 『横浜中華街』2013.06.02

『横浜中華街』

 JR京浜急行でお店のお客様3人と横浜に向いました、 皆さんは上野から乗り込み私は有楽町で乗り込む手順でした。 これがなかなか至難の技なのですね、なにしろ2〜3分おきに出る電車に何分に乗って何分に新橋に着くかは判らず、10両以上編成に何処に居るかも全く判りません。 取敢えず私は有楽町ホームに立ち彼等からの「今、乗りました!」と云うメールを待ちました。
 やがて「快速に乗りました」、 快速は有楽町には止まらない様なので「品川まで行きます」、 取敢えず行き当たりばったりの電車で品川へ、 そして「品川50分の4号車です」、「了解!」、「間もなく着きます」、 バタバタと走りながら電車の窓を見回して、両の手を振って合図している彼らを見付けて乗り込みました。 まるで都会の犯罪サスペンスを演じ、そして観て居る様で、手を取り合って再会を喜び合いました。
 
 横浜中華街は夕暮れの帳が降り始め、 極彩色とギラギラ輝く明りでケバケバしい風景が流れ始めて居ました。 むかし盛んにTV放送していた料理の達人達のお店が建ち並び、 商魂逞しいチャイナ風の客引きたちが甘栗を渡して呼び込みをして居て、 ウッカリ食べようものなら買わずに行きすぎられなくなります。 そんなヒヤカシのやり取を楽しみながら、某有名店の隣の店に入り、円卓で中華コース料理をご馳走になることになりました。

 20年ほど前に家族でこの中華街に来た事があり、その時はランチタイムの午後に何処か安くて旨い処はないか、とあちらこちら路地まで入り込んで、意外とこんな路地の方が旨いのではないか、と決め込んで1軒の古めかしい脂ぎった店に入り、夫々の好みの料理にチャーハンも頼みました。 これが何というか超不味いのです、ご飯がパラパラしてないグチャとしたメッコご飯(方言かな)で美味しくない。 これでは女房や子供達が作ったチャーハンの方がよっぽど美味しい、 不満足な余韻を残してランチを済ませました。
 20年前に横浜に来たのは特にランチを食べに来た訳ではなく別の要件で来ていました。 一番下の息子が小学3年生の頃からあるスポーツクラブに所属しており、横浜の体育館で毎年全国Jr大会が開かれていました、 その大会に息子の応援ファンとして「追っ駆け」として来ました、 他にも全国の各地に年4〜5回くらいは車で出掛けて居ました。 子供も夢を追い続けて楽しく苦しい練習、そして大会に挑んでいました、 親としても出来るだけ応援して元気つけてあげたいと思っていました、 子供の夢を親も共有し偶にプレッシャーをかけていたかもしれないですね。 そんな事も今は懐かしい昔の話となり、息子も当時夢に描いていたスポーツを兼ねた教育関係の仕事にも就き、結婚し一児を授かって普通の幸せを享受していると思います。

 さすが横浜中華街の中華フルコースは大変美味しく、他の皆さんは何故か食が細く、私ばかりがあれもこれも出で来るものは全て最後まで残さず食べ、生ビールも何回もお変わりしました。 暫く振りの中華フルコースの満腹感と都内の喧騒から一時の解放感で、異国情緒を充分に味わって幸せな気分でした。 
 満腹の後は野毛の街のカラオケスナックで唄い捲りです、 今夜の気分はやはり演歌ですね、「♪兄弟船♪」鳥羽一郎「♪演歌兄弟♪」北島三郎でも唄おうかな。