北千住
昭和の良き時代「ギター流し」のメッカの様に憬れて北千住の駅に降り立ちました。 そこは駅周辺にビルが建ち並び多くの鉄道が乗り入れしている都会的な賑やかな街で、アーケードの商店街の脇道界隈に懐かしそうなスナック居酒屋が垣間見えました。 当時ギター艶歌師が最盛だった頃を想像し、北島三郎や渥美二郎もギター流しをやって居たそうで、私の郷里のカラオケの先生も此処で流していたと何時も聞かされていました。 北千住に来たのは、実は暫らく振りでボウリングをやろうと決めて練習に来たのです。 当時還暦を前に生涯出来る室内スポーツは何か、と思い既にベテランボウラーだった人に教えて貰いました。 平日日中のボウリング場は還暦定年を過ぎたリタイア組のオジサンと若干のオバサンが投げ捲くっていました、そして古希を過ぎたお爺さん達もひたすら楽しんでいました。 仕事の忙しさと遊び半分さでなかなか長続きはしませんでしたが時々200アップしてアベレージは165位まで伸びたと思います。 その昔半世紀前にも為るのかボウリングの爆発的な大ブームが興りました、私たち若者も長時間の待ち時間を経てストライクの爽快感に浸り、成人式の振袖姿のままで興じて居て顰蹙物でした。 ボウリング場の大きな建物もアチラこちらに林立していきました、それが何時の間にか一揆にブームが消えて無用の長物みたいな建物だけが残った時代がありましたね。 今回、私は6年振り位にちょっとした切っかけでボウリングを再開することにしました、そして4回程この北千住のボウリング場で練習を始めたのです。 私の拘りとしてスポーツはファッションと道具に凝る事から始まるので、 先ずウェアーは何時もの様に原色系のブランドロゴ入りで、靴は二足三文を止めてブランド物のピッタリサイズにし、ボウルも舶来ブランドの高級品で少し重いが私のSサイズの指にピッタリ合わせて穴を開けあまり重さを感じない物、そしてボウルバックもボウルが4個も入る大型キャリーです。 これほど揃えて相変わらず下手だったらどうしましょう、運動神経もあまり良くなく最大要因はメンタル面の弱さでしょうか、心臓と頭が悪い所為ですね。
江戸時代の昔、北千住は宿場町だったそうで川に掛る橋も千住大橋と云って、此処しか無かったそうな、千住とは「住」つまり宿が沢山在ったと謂うことかな、江戸幕府防衛の為に橋は造らず渡し船が主流だったそうです、カラオケでは渡しや船宿を唄った「矢切の渡し」「橋場の渡し」等が唄われて、江戸の下町風情はオジーのブラツ記にとってもっとも興味が湧く処です。
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